(昭和38年生) 福岡県 筑豊・稲築にて出生 職業 IT関連会社代表役員
人間 生まれた瞬間(とき)から、人に世話に成っている。 乳幼児期に世話する人の人間性で、後の生き様が決まる。 地位や名誉がつくと、それを忘れてしまう。 俺が俺がと自分を見失い、有頂天になる。 有頂天になる人間の心には、寂しさや怖さ、一人ぼっちになる恐怖心が宿っている。 国が打ち出した。 国民全体の10%は、何らかの心の問題を抱えている。 今の社会情勢では、それ以上の人間が弱く成っている。 人間の心の弱さは、様々な人間関係の「ひずみ」を出す。 反社会的な人や人間関係に害を及ぼす人を、人格障害者とも言う。
有頂天に成った人は、己の心に存在する「ひずみ」に気がつかない。 反対に心の「ひずみ」を、気にし過ぎる方もいる。 どちらも行き過ぎると、病的に成る。 何れにしても。 生を受けてから生きている間は、周りからの支えで生きている。
一歩家を出ると、考えもつかない、意地悪な人間に出会う。 利己的な人格障害者である。 1,精神病 ・・・・・・・・・分裂病、躁うつ病 2,気質性の精神病・・・・・・薬物依存、中毒 3,神経症・・・・・・・・・・うつ病等 4,人格障害・・・・・・・・・人格の片寄り 今では分裂病とは言わず、統合失調症と言われている。 神経症とも聞かれなく成ってきた。 境界例とか境界性人格障害と言う、心の問題がある。 これは精神病と人格障害の間(境界)にある、心の障害である。
境界例は、乳幼児期の育ち方に関係する。 乳児は母親の顔を見て育つ。 先ず最初に母親の目を確認し、感情が育ってくる。 母親の人格に問題があると、子供に伝承される。 他人から見て立派な母親であっても、孤独で、我がままな母親がいる。 母親は、一生懸命に子供を育てる。 子供は少しづつ親離れをしていく。 人格的に問題がある母親がいる。 子供の親離れが、寂しくて我慢出来ない。 何かと理由を付けて、子供の親離れを防いでいる。 子供はそんな母親に対し、依存している「ふり」をする。 子供は何時のまにか、母親と同じく、周りから見放されるのを恐がる。 成長した子供は、孤立を防ぐための「策略」を始める。 良い人間の仮面をつけて、仲間を集める。 弱い立場の人間に近寄り、協力する。 相手が立ち直りを見せると、見捨てられるとの思いで取りついていく。 仲間に成らない人間は、徹底的に攻撃し意地悪をする。 慣れた精神科の医者でも、見抜くことが困難な、心の障害である。 これに近い心を持った日本人が多くなった。 人間関係に「見返り」を求めすぎて、弱くなっている。
人生が一息ついた時に、社会奉仕を始める人がいる。 老人ホームに慰問に行ってやった。 唄ってやった、踊ってやった。 皆んなが 喜んで楽しかった。 人間生まれた瞬間から、人に迷惑をかけて生きている。 それを「ありがたく」感じる人間がいる。 その人たちは。 老人ホームに行かせてもらった・ 唄わせてもらった。踊らせてもらった。 皆さんと共に喜び、楽しませていただいた。 感謝、感謝の心が充満している。
話しは変わるが、大分県に杵築という場所がある。 宇佐神宮にほど近く、農業で生計を立てている地方だ。 そこで、現在80になる小夜子が生まれた。 小夜子が幼い時期に、両親が相次いで亡くなった。 終戦前後の事である。 親類縁者が集まり、幼い小夜子の行き先を探した。 筑豊地方に稲築という町(現、嘉麻市)がある。 全国から人が集まり、炭坑で栄えた町だ。 その稲築に小夜子の縁者がいて、引き取られて行った。 相手も貧しく、肩身の狭い思いであったが、小夜子は頑張った。 引き取ってくれた方が良かった。 幼いながらも働き、少ない時間に学んだ。
小夜子は成長した。 同じような境遇、5才上の孝義と知り合い所帯を持った。 隣の穂波町に行き、二人で働いた。 次々に炭坑が閉山していった。 仲間は、長崎・北海道の炭坑に行った。 小夜子は夫婦で、鞍手郡の宮田町に移った。 炭住と言う、長屋で生活を始めた。 貧しかった。 とにかく二人で精一杯働くしか、方法がなかった。 そこの炭坑も閉山に追い込まれ、仲間が少なくなった。 貧しく・苦しく・きつかったが、小夜子は頑張り抜いた。 小夜子を支えたのは、小夜子の心にあった「感謝の心」だ。
前置きが長くなった。 そんな小夜子と孝義の長男が、植木政勝である。 植木は稲築で生まれ、宮田町で少年期を過ごす。 大之浦小・中学校に通う。 近くの学校は炭坑閉山と共に、閉校や合併を繰り返していく。 植木が通った中学校は閉校になり、最後の卒業生になった。 最後の卒業生の総代となり、挨拶をした。 環境的に恵まれていなかったが、教師を目指した。 小学生から始めた野球は、中学でも続けた。 家に余分なお金はなかった。 迷うにも迷いようがなく、公立高校の受験しか選択できなかった。 当時野球が強かった、県立の進学校である鞍手高校を受験した。 受験に失敗すれば、定時制高校に行こうと考えていた。
高校では井の中の蛙で、授業に着いていくのがやっとだった。 野球に打ち込んだ。 試合中にボールが、顔に当たった。 教師(監督)に言うが認められず、試合参加を続行した。 試合後ようやく病院に行った。 学校側が慌てたが、診断は「顔面骨折」で2週間の入院。 教師に不信感を抱いた時期もあったが、どうにか卒業。
周りの高校生は、大学進学者が多かった。 進学したかったが、家にはお金がなかった。 大学をあきらめ、情報処理の専門学校を選んだ。 大学に行けなければ、職人的な職を身につけたかった。 高校の教師からは、そんな女がする仕事は止めろと言われた。 それでも植木は、進むのこの道と決めた。 問題があった。 学費が高く、親では負担できなかった。 一年目が入学金と合わせ、80万円 二年目が、60万円 それに食費やアパート代、その他の経費がかかり迷い抜いた。 目にしたのが新聞奨学生制度であった。 全国紙ではなく、西日本新聞社の制度が一番親切であった。 制度を利用し、専門学校に通った。
自転車から始まった新聞配達は、バイクになっていった。 その内朝刊360部・夕刊320部の配達をこなした。 年末になるとチラシが多くなり、寝る間がないときもあった。 2年間の食事付きの住み込みで、学費援助80万円も返済不要であった。 植木は助かり、己自身で3つの条件を考え、守り抜いた。 ・6時までに配達完了 ・配達ミスをしない ・雨降りでも極力新聞を濡らさない そんな決心で励んでいた、冬の寒い朝であった。 朝刊を配っていると、配達先におばあちゃんが立っていた。 植木を見つけ、近寄ってきた。 そっと 毛糸で編んだ、長めの帽子をくれた。 ちらつく小雪が目に入った。 老婆の優しが、心に染みこみこんだ。 目が潤んで「ありがとう」と代弁した。。 手が震え、手にするハンドルも喜び、バイクが踊った。 植木を育てた母親と同じく、そこには「見返りを求めない」老婆の心があった。 老婆が与えた心を、素直に受け入れる心は、母親がくれていた。 その時 植木は社会の平和が、何であるを知った。 母親を理解し、大人になった。
その後、専門学校を卒業し東京に行った。 大分では、IT関連の専門学校で教えた。 植木には職人に成ると言う目標があり、IT関連の技術者に戻った。
現在の植木には、野球選手に成る夢や教師に成る夢は、遠ざかってしまった。 福岡市内に、IT関連の「プロップ」と言う会社を作った。 プロップとは、「支柱」と言う意味がある。 自ら起こした事業では逃げない。 IT技術の要(かなめ)と成る事を誓っている。
植木 政勝 44才
|
|